前回は「「近くて遠い」種子島〜種子島鉄砲館・鹿児島から「すぐ近く」の種子島・たくさんの鉄砲と歴史を楽しむ・高速船トッピーで鹿児島から種子島へ〜」の話でした。
九州付近の魅力的な島々と種子島
鹿児島の南の先端にある街・指宿から、船で種子島へ向かいました。
もともと旅は好きでしたが、大学の建築学科に入ってからは、国内外の建築や都市を見聞しました。
ギリシャのサントリーニ島を訪れた際には、すぐ近くのミコノス島も訪問しました。
他にも、海外で様々な島を訪問した経験がありますが、島国・日本の日本人なのに、
訪問していない
日本の島は、まだまだ沢山あります。
熊本の家を設計したことから、熊本を頻繁に訪れました。
そのこともあって、九州がとても身近に感じられるようになったこともあり、
九州付近の島々に
とても興味があります。
長崎からは、船で五島へ行きました。
五島列島は名前は知っていましたが、なかなか「行こう」とは思いませんでしたが、
熊本に何度も行っているうちに、
「五島に行ってみよう」と思いました。
福江島・仲通島などの島々がある五島列島は、とても魅力的で、これまでに二度訪問しました。
そして、いよいよ「小学生の頃から知っていた」種子島を訪問しました。
種子島の後に屋久島を訪問しましたが、この話は改めてご紹介します。
木造建築と日本刀の技術が高かった戦国期の日本
1543年にポルトガルから
種子島に鉄砲が伝来しました・・・
小学生の時に歴史で学んだ「鉄砲伝来の島」種子島。
ここには、種子島に伝来した際に、種子島の島主であった種子島時尭が、
よしっ!
その鉄砲を二丁購入しよう!
と購入した種子島銃も展示してあります。
この火縄銃が、
我が国に伝来した最初の銃です。
1543年の頃、日本は戦国時代真っ只中でした。
この時期から少し先の1600年頃から、熊本城が築城されました。
日本古来の木造建築の技術で、木造や木に関する技術が世界的に見ても高かった日本。
さらに、戦国時代のため、日本刀や槍などを生産する高い技術がありました。
この銃というのは
初めてみるが・・・
なるほど・・・
ここがこうなっていて・・・
鉄砲の銃身を加工する技術は、日本刀の生産技術ですぐに獲得できました。
木造建築の合理的技術と鉄砲製造:継手仕口と金物
当時、日本には釘がありましたがネジがなかったようで、
銃身は作ることが
できたが・・・
ここが
よく分からない・・・
釘とネジは「似ている面がある」工具ですが、全然違うものです。
古来からの日本の木造建築は、釘などの金物を出来るだけ使用しない工法です。
木材を様々加工したり、彫り込んだりした、継手・仕口という世界でも珍しい工法があった日本建築。
この継手・仕口による木造建築の作り方は、非常に頑丈でした。
そして、頑丈でありながら、木造同士が接合されている部分が地震などの際に少し動きます。
接合部が少し動くことで
地震のエネルギーを逃す役目があります。
現代の木造建築は、建築基準法の変更などにより、金物や釘などを大量に使用します。
「釘を出来るだけ使わない」木造工法は、非常に合理的な技術でした。
そして、ネジがなかったため、銃の製造プロセスで、
これは、どうやって
作るのだろう・・・
悩みに悩んだ結果、ポルトガル人とも様々な話し合いがあったようで、
ネジとは、
こういうものです・・・
製造方法は、ポルトガル人に教えてもらいました。
なるほど、
これで銃は作れる!
そして、国産銃が初めて作られました。
Japaneseは、
あっという間に銃を作れるようになったな・・・
比較的短期間で国産化に成功した銃は、その後、種子島から九州へ伝わりました。
さらに、九州から、当時の日本の中心であった近畿方面へ一気に伝播してゆきました。
そして、岐阜城の主人となる若き織田信長が目をつけて、鉄砲を大量に使用しました。
そんな、日本の技術が垣間見える種子島。
他にも見どころたくさんなので、ぜひ、訪問してみてください。
次回は上記リンクです。