前回は「岐阜城訪問記」の話でした。
歴史と旅

僕は、小学生の頃から歴史が好きです。
もちろん、仕事にしている建築が「最も好きなこと」ですが、学びの対象としては、

理科か
歴史が最初に好きになりました。
歴史は、僕が最初に興味を持った「最初のいくつかの一つ」です。
小学校5年生くらいの頃から、織田信長や武田信玄のことが好きでした。


「日本史上最も有名な人物」の一人である織田信長。
歴史好きにとっては、ロマンあふれる人物です。


岐阜城は、大阪城などと同じで再建された城です。
時代が変わっても、岐阜城が建っている計画地・地形は昔と大きくは変わりません。
城郭建築と「建主の城」
建築設計で大事なことは、デザイン以外に、コスト・法律・工事監理など様々あります。



なんと言っても、
計画地が最も大事です。
「そこに建築を建てる」計画地は、「変更不可能」であり最重要な存在です。


計画地を買う時点から、建て主から相談を受けることがあります。
賃貸マンションを
建てたいのですが・・・
計画地の購入から
相談に乗って欲しい。



承知しました。
土地の選定からお付き合いします。
こういうご要望を受ける場合、ざっとした資金計画からご相談に乗ります。
その際には、提携している不動産会社と共に、資金計画から計画地の候補選定などをご提案します。
「計画地から提案する」こともありますが、やはり「計画地が先にある」ことの方が多いです。


「城を設計する」機会は、なさそうですがロマンがありますね。
かつて「金華山」と呼ばれた、大きな山の上に築城されていた岐阜城。
山が比較的少ない濃尾平野において、岐阜城のある金華山の威容は遠くからでもよく見えます。


お城ほど規模は大きくなくても、「建主にとっての城」である住宅。



本物のお城ではないですが、
「建主の城」を設計させて頂くのは、貴重な機会です。
「建主の城」を設計してゆくのは、とてもロマンがあり、嬉しいことです。
お城には「縄張り図」という図面が残っていることがありますが、現代の図面と比較するとかなりラフな図面です。
配置図のような図面から、簡単な立面図のような図面などが多い「縄張り図」。



この図面から
あの城がつくられたんだ!
と感激すると同時に、



この図面から、
あの城がどうやってつくられるのだろう?
と不思議に思うこともあります。
建築実務を始めた社会人なりたての頃に、訪れた岐阜城。
まだまだ実務のことは分からないことが多かったですが、フレッシュな気持ちで岐阜城を訪問しました。
歴史と建築に大いに興味を持つものとして、岐阜城を訪れた経験は脳裏に焼き付いています。