アジアの架け橋であり続けた琉球王朝〜オリジナルな琉球文化・現地周辺の歴史や文化を感じる姿勢・現地調査後の城訪問〜|沖縄・浦添城跡と浦添ようどれ2・建築と旅

前回は「海を支配して特異な文化を堅持した琉球王朝〜現地訪問からのみ得られる大事な「現地の雰囲気」・出張で沖縄訪問〜」の話でした。

目次

現地周辺の歴史や文化を感じる姿勢:現地調査後の城訪問

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浦添城跡・浦添ようどれ(新建築未来紀行)

かつて、依頼頂いた業務に関する現地調査のために、沖縄を訪問しました。

久しぶりの沖縄訪問で、今回は仕事での訪問です。

Yoshitaka Uchino

沖縄を訪問するのは、
久しぶりでした。

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種子島(新建築未来紀行)

日本の島々に大きな興味を持っており、屋久島と種子島を訪問したこともあります。

上記リンクでは、種子島訪問の話をご紹介しています。

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種子島鉄砲館(新建築未来紀行)

「九州からちょっと先」の位置にある種子島は、実は「すぐそこ」に位置します。

この「すぐそこ」にある種子島ですが、なかなか訪問する機会がありませんでした。

種子島・門倉崎(新建築未来紀行)

「鉄砲伝来の地」として、日本の歴史に大きな足跡を残している種子島。

歴史好きな筆者としては、ぜひ行きたい島だったので、訪問して感無量でした。

そして、種子島は海が本当に気持ち良い島でした。

屋久島を訪問した話を、上記リンクでご紹介しています。

屋久島・種子島と比較すると、やはり「遠い位置」にあるのが沖縄です。

東京から飛行機で2時間半ほどなので「それほど遠くない」かもしれませんが、やはり遠いです。

この意味では、東京から考えると「海外に近い」のが沖縄です。

日本一の「バカンス・レジャーの地」として、際立った存在感を持っている沖縄。

以前、訪問した際は沖縄の海を中心に周り、首里城などの沖縄の様々な建築を訪問しました。

今回は、現地調査後に比較的近くに「沖縄の歴史・文化が感じられる地」を訪問したいと思いました。

Yoshitaka Uchino

浦添城跡・浦添ようどれに
行ってみよう・・・

現地調査では、文字通り「現地を詳細に調査して、リアルに感じること」が大事です。

それと同様に大事なことが、「現地ならではの歴史や文化を感じる」ことだと考えています。

ちょうど、沖縄の中心付近に位置するのが浦添城跡で、広大な公園の中にありました。

Yoshitaka Uchino

沖縄では城を「グスク」と
呼びます。

そのため、浦添城跡は沖縄では「浦添グスク」と呼びます。

アジアの架け橋であり続けた琉球王朝:オリジナルな琉球文化

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浦添城跡・浦添ようどれ(新建築未来紀行)

荘厳で迫力ある空間の浦添城跡の中を歩んでゆきます。

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浦添城跡・浦添ようどれ(新建築未来紀行)

この城跡が特殊なのは、琉球王の墓があることです。

これまでに様々な城や城跡を訪問しましたが、墓が併設されている城・城跡は非常に少数です。

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一乗谷朝倉氏遺跡(新建築未来紀行)

一乗谷を訪問した際には、一乗谷朝倉氏遺跡の中に朝倉家当主であった朝倉義景の墓がありました。

一乗谷の朝倉家館周辺の一角に置かれたのが、「越前王」とも言える朝倉義景の墓です。

この時は、「一乗谷」という都市・街全体の中に「王の墓」があったので、少し感覚が異なります。

そして、朝倉家は「事実上の越前王」ですが、琉球王は「王朝」なので「真の王」とも言えます。

1429年に成立した琉球王朝は代々琉球王が統治し、1879年の明治期まで続きました。

このように、「琉球王の墓でもある」城跡には、訪問する前から、

Yoshitaka Uchino

琉球王の墓とは、
どのように城内にあるのだろう?

こう思って、強い興味を持って訪問しました。

「浦添ようどれ」は英祖(えいそ)王(在位1260-1299)と尚寧(しょう・ねい)王(在位1589-1620)の陵墓です。

英祖王は琉球王朝の前に存在したと思われる、琉球国の中山王です。

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浦添城跡・浦添ようどれ(新建築未来紀行)

いよいよ、琉球王の陵墓に近づいてきました。

300年以上離れた二人の王が「同じ場所に埋葬されている」こと。

Yoshitaka Uchino

なぜ、かなり離れた世代の王の陵墓が
一緒にあるのだろう・・・

不思議に感じながら訪問しました。

「ようどれ」とは、夕どれ=夕方の波風が静まる時という意味で、沖縄独特の言い回しです。

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浦添城跡・浦添ようどれ(新建築未来紀行)

英祖王と尚寧王の陵墓である、浦添ようどれの前に到達しました。

とても大きな陵墓で、琉球王ならではの風格を感じます。

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琉球王朝の版図(Wikipedia)

かつて、琉球(沖縄)本土のみならず、奄美大島など周辺の島々と海を支配した琉球王朝。

強大な国家であり、当時「アジアの中心」であった明国の支配下にありました。

そして、日本では戦国時代が終わり、元和偃武となって平和な江戸時代が到来しました。

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徳川幕府初代将軍 徳川家康(Wikipedia)
徳川家康

これからは、我が
徳川家の時代で、平和な世とする!

1603年に開始した徳川幕府から始まる江戸時代は、この少し後に大坂の陣や島原の乱が起こりました。

それでも、戦国時代と比較したら「はるかに平和な時代」といえる江戸時代。

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尚寧王(Wikipedia)

琉球王朝は尚寧王の治世でしたが、薩摩藩主であり、強力な島津軍の侵攻を受けました。

尚寧王

超強力な島津軍に
敵することは難しい・・・

尚寧王

やむを得ない・・・
明同様に、島津の支配下に入ろう・・・

そして、「やむなく島津の支配下」に入った琉球王朝。

以後、琉球は中国と日本に両属することになりました。

浦添城跡・浦添ようどれを訪問すると、琉球王たちの極めて強い意志が感じられました。

アジアの架け橋であり続け、オリジナルな琉球文化を保持し続けた琉球王朝と琉球王たちの強い意志が。

次回は上記リンクです。

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