前回は「アジアの架け橋であり続けた琉球王朝〜オリジナルな琉球文化・現地周辺の歴史や文化を感じる姿勢・現地調査後の城訪問〜」の話でした。
戦国から幕末維新までドラマたくさんの彦根城:現存12天守
滋賀県の彦根城を訪問しました。
姫路城や大阪城などと比較すると、それほど知名度は高くない城かもしれません。
・姫路城(兵庫県姫路市)
・彦根城(滋賀県彦根市)
・犬山城(愛知県犬山市)
・松江城(島根県松江市)
・松本城(長野県松本市)
・丸亀城(香川県丸亀市)
・丸岡城(福井県坂井市)
・宇和島城(愛媛県宇和島市)
・備中松山城(岡山県高梁市)
・高知城(高知県高知市)
・弘前城(青森県弘前市)
・松山城(愛媛県松山市)
日本には、「現存12天守」という「昔のままの天守閣がそのまま残っている城」が12あります。
この超貴重な「現存12天守」の一つが彦根城です。
戦国時代から幕末維新まで、様々なドラマがあるのが彦根城です。
別サイト「新歴史紀行」では、彦根城と井伊直弼の話をご紹介しています。
鉄筋コンクリート造で再建された城が多い中、
昔のままの木造の城を
訪問するのは楽しみです。
このように「昔の日本の大規模木造建築」を体験できる機会は貴重です。
徳川幕府の「西の要」の一つと目されて、超譜代大名であった井伊家が築城したのが彦根城です。
江戸時代、日本政府であった徳川幕府は、
諸大名は、あまり
領民と仲良くしては困る・・・
領民と共に力をつけて、
我が徳川に刃向かってくるのを未然に防ぐのだ!
このような発想のもと、諸大名は「鉢植え」のように領地替えを命令されました。
だが、御三家や我が徳川と
親しい譜代大名は別格だ・・・
あとは、親しくないが、
「移すと抵抗する」薩摩なども仕方ない・・・
井伊家など少数の大名は、「一度も領地替えなし」で江戸時代を切り抜けました。
そのため、古い建物が現存しているだけでなく、「古き井伊の雰囲気」を残しているのが彦根城です。
「武の井伊」を体現した石垣:赤備えの軍勢率いた井伊直政
徳川四天王の一人であり、徳川家康の期待が最も大きかったのが、彦根藩初代藩主・井伊直政でした。
私は合戦で
「井伊の赤備え」を率いたのだ!
旧武田軍の「真っ赤な赤備えの軍勢」は、家康の命令により、井伊直政が引き継ぎました。
それだけ「徳川家の武の要」と目されていたのが、井伊直政であり、別格の存在でした。
私は合戦だけではなく、
政治的能力も高かったのだ!
政治面でも活躍した井伊直政は、関ヶ原の合戦での負傷が元で41歳で亡くなってしまいました。
この「文武両道の井伊直政」の家風を引き継いだのが井伊家であり、この彦根城です。
その井伊直政以来の「武の井伊」を体現したかのような無骨な石垣です。
これらの石垣を作る技術は「築城技術の要」でした。
戦国期には「築城の名手」が登場し、熊本城は「築城の名人」であった加藤清正が築城しました。
熊本城に関する話を上記リンクで、ご紹介しています。
琵琶湖の近くで、昔の風格を残している彦根城は結構広いです。
巨大な木製の橋がありました。
金物で一部補強されていますが、雄大な木造の柱と梁による木製の柱は迫力ある存在感を放っています。
橋をつくる木は少し劣化が見受けられますが、適切にメンテナンスされており、
木造らしい構造美が
美しかったです。
城に入って、しばらく歩いて天守閣に向かいます。
道の脇にある石垣の向こうに天守閣が見えてきました。
木造の門も風格がとてもあり、柱梁の軸組構成が明快です。
歩道の踏み石もまた
風情があります。
次回は、天守閣に向かってゆきます。
次回は上記リンクです。