前回は「岐阜の旅と建築 2〜美しき野原・美濃国と建築〜」の話でした。
名古屋の街
岐阜を訪問した際に、名古屋に立ち寄りました。
岐阜と名古屋は非常に近くて、在来線で20~30ほどで岐阜駅から名古屋駅に到着します。
意外と
近い・・・
大阪と京都、あるいは大阪と神戸も行ってみると「思いのほか近い」ことに気付きます。
このように旅では「いろいろな意外なこと」に出会うことが面白いです。
名古屋市中心部は、様々な現代建築があり、歩いていて楽しい街です。
この躍動かな触れるデザインの建築は、名古屋の街並で非常に目立ちます。
名古屋城
「金の鯱鉾」で有名な名古屋城。
少し「再建された感」が強いので、熊本城や姫路城と比較すると、歴史好きな僕としては、
もう少し、
古い城郭建築らしいと良いのだけど・・・
ちょっと面白みにかけます。
せっかくの石垣に配線のモールのようなものが張り付いていて、
このようにしないで、
景観に配慮して欲しい・・・
こういう配線・配管が、かなりガッカリします。
特に、このような「観光資源の建築」には、配慮して欲しいです。
名古屋市立美術館は、黒川紀章氏らしい「格子による中間領域」をコンセプトにしています。
織田信長と名古屋
愛知県・名古屋市といったら、なんといっても「織田信長の出身地」です。
桶狭間の合戦で戦国の世に躍り出た織田信長。
そして、この名古屋周辺の尾張国が彼の出身地です。
織田信長が世に出る
きっかけになった桶狭間の合戦・・・
その際に、信長が「祈願した」と伝わる
熱田神宮へ行こう!
熱田神宮へ向かいました。
熱田神宮:織田信長の願い
比較的シンプルな建築ですが、雄大な神宮の世界が広がります。
少しそっけないくらい、すっきりとした建築です。
この熱田神宮で、460年近く前の1560年、
我が織田家を
今川家に勝たせていただきたい!
と祈願したと伝わります。
戦国時代では、信長の本拠地として有名だっただけではなく、米の生産量(石高)が非常に高かった尾張。
肥沃の地であった終わりは、石高で堂々の三位です。(広大な陸奥を除く)
さらに、商業も栄えており、太平洋側の水運の拠点でもあった尾張。
当時、「日本で最高の国」の最有力候補の一つでした。
その後、徳川幕府の時代となり、尾張は「徳川御三家の一つ」として栄え続け、現代に至ります。
熱田神宮を見ながら、名古屋の現代建築・街に想いを馳せました。
次回は下記リンクです。