前回は「木材の強い生命力が感じられる犬山城の梁〜統一感ある木材の素材感・空間の秩序と素材・柔構造と剛構造〜」の話でした。
かつては那古野と記載した名古屋:再開発が盛んな名古屋駅周辺

最近、名古屋周辺では大きな再開発工事が行われています。
特に、名古屋駅の中心部では、大型再開発がずっと行われており、高層ビルがいくつか建築されました。
そして、現在も高層ビルを含む再開発工事が多数行われている名古屋。


この信長の出身地は
尾張(現在の愛知県)である!
愛知県の名古屋周辺は、かつて「尾張」と呼ばれる国でした。
そして、戦国時代の覇王・織田信長は、尾張出身です。


織田信長だけでなく、戦国期に天下人となった豊臣秀吉も尾張出身です。
そして、徳川幕府初代将軍となった徳川家康は、尾張の東隣だった三河出身です。
現在の愛知県は「尾張と三河を合体させた」領域にあるため、



我が愛知県から、
三人の天下人が生まれました!
戦国時代の覇王・天下人である、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三人全てが愛知県出身です。
現在でも、愛知県や名古屋市では、信長・秀吉・家康がアピールされることが多いです。


そして、愛知県と言えば名古屋であり、歴史的建造物は名古屋城があります。
世界的に有名な大都市・名古屋ですが、実は戦国時代の尾張(愛知県)の中心は名古屋ではありませんでした。
名古屋は、戦国期までは「那古野」と記載され、中央の「古」以外は異なる字が使われました。
戦国期まで尾張中心だったのが清州であり、織田信長は当初、清洲城を本拠地としました。
今回は、その「かつての愛知県(尾張)の中心地」出会った清洲城を訪問した話です。
かつては愛知県(尾張)の中心地だった清洲城:織田信長の最初の本拠地


名古屋駅から清洲駅に電車で向かいました。
JR東海道本線で、わずか7分の近さで、名古屋駅から「とても近い」位置にあるのが清洲駅です。
再開発で盛り上がっている名古屋駅周辺とは一風変わって、少し古風な感じを受けるのが清州駅でした。
早速、清洲城に向かいました。


清洲駅から徒歩で清洲城に向かいましたが、途中、上の写真のように「清洲城への看板」がありました。
「織田信長ゆかりの清洲城」としては、もう少し立派な看板でも良いように思いました。


続いて歩いてゆくと、古風な看板で清洲城が差し示されています。
小学生の頃から、織田信長が好きな筆者としては「少し寂しい」気持ちにもなり、



織田信長の写真をつけるとか、
もう少し立派だと良いのだけれど・・・
「織田信長の清洲城」とは思えないほど、少し寂れた看板です。


気持ちを取り直して、清洲城へ向かい、ようやく到着しました。
1989年のバブル期に再建された清洲城は、鉄筋コンクリート造です。


そのため、現存天守閣である犬山城や彦根城のような「かつての日本建築の趣」は期待できません。
彦根城に関する話を、上記リンクでご紹介しています。


内部は、展示物が多数ありますが、木の柱や梁は全くなく、ある意味で「綺麗な建物」です。
とは言え、かつては愛知県(尾張)の中心地だった清州にある清洲城。
次回は、清洲城内部に入ってゆきます。