前回は「水の都・清洲の卓越した経済力〜川と繋がる都市の潜在力・河川を中心とした都市だった清洲・戦国期まで尾張国中心の清洲城〜」の話でした。
山々が日本一美しい信州:平均標高が日本一の長野県

長野県の上田を訪問しました。
雄大な山々が連なり、山の景色が美しい信州。
山が美しいのは福島県なども同様ですが、やはり「山と言えば信州」と考えます。
福島県・会津の山の中で昆虫採取をした話を、上記リンクでご紹介しています。
島国・日本において、「海に全く面さない」数少ない都道府県の一つである長野県。
山が多く、平地が少ない長野県は、平均標高が日本一の都道府県です。
そして、平地から周囲を眺めると、山、山、山、と山が連なり、美しい景色が楽しめる信州。

そして、今回は上田城を訪問した話をご紹介します。
歴史が好きな筆者は、城や歴史的背景を持つ地を訪問するのが好きです。
岐阜城を訪問した際の話を、上記リンクでご紹介しています。

上田城と言えば、真田であり、真田と言えば、真田幸村(信繁)です。
数多い日本の戦国武将の中でも、圧倒的知名度を持つ真田幸村は、人気抜群の武将です。
一般的に真田「幸村」の名前で浸透していますが、本名は「信繁」で「幸村」は江戸時代の講談などで有名な名です。
そのため、本来は「真田信繁」ですが、ここでは一般的な「真田幸村」で通します。
上田城は、幸村の父親である真田昌幸と共に、徳川軍を二度に渡り撃退した城です。
「戦闘向けの城郭」上田城:真田幸村と真田昌幸の奮闘の地

上田城に歩いて向かってゆくと、大きな堀が見えてきました。
城の堀は、現代では鯉が泳いでいることもあり、比較的水が綺麗なことが多いです。
対して、上田城は堀の水は濁っていて、いかにも「戦闘向けの城郭」であることを匂わせます。

上の堀の写真で「欠けている部分」は「隅欠(すみおとし)」と呼ばれた、鬼門対策です。
昔は、鬼門は大いに避けられて、「鬼門をどうするか」は建築設計において極めて重要でした。
地域計画・都市計画においては、城下町などで「鬼門に神社を配置」して、鬼門対策が行われました。
現代では、ほとんど気にしなくなった鬼門。
中には、住宅設計などで「鬼門を気にする」方もいらっしゃいますが、比較的田舎の地域が多いです。
筆者は、設計においては鬼門は一切気にしませんが、建主の意向によっては、

多少、鬼門を気にして、
対策を考えます。


この「戦闘向け」の堀を眺めて、歩いてゆくと、真田の旗と共に櫓が見えてきました。
信州の樹木の間から垣間見える櫓は、「信州らしさ」を感じさせ、とても美しいです。


櫓が複数見えてきて、いよいよ上田城の中心部に向かってゆきます。
次回は、上田城の内部に入ってゆきます。