前回は「ボリュームが貫入する木造軸組建築の御殿〜典雅に優しく広がる自然光・日の丸が掲揚されている天守閣前広場・交互に編んだようなデザインの石垣〜」の話でした。
重厚な軸組構造の高知城天守閣:優美な日本建築の御殿

現存十二天守の一つ、高知城を訪問しました。

同じく現存十二天守の一つの彦根城と比較すると、天守閣の規模はやや大きいです。
・姫路城(兵庫県姫路市)
・彦根城(滋賀県彦根市)
・犬山城(愛知県犬山市)
・松江城(島根県松江市)
・松本城(長野県松本市)
・丸亀城(香川県丸亀市)
・丸岡城(福井県坂井市)
・宇和島城(愛媛県宇和島市)
・備中松山城(岡山県高梁市)
・高知城(高知県高知市)
・弘前城(青森県弘前市)
・松山城(愛媛県松山市)
彦根城に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

天守閣の脇に建築された御殿は、優美な日本建築で、柱の存在が際立った空間です。
柱と梁によって構成された軸組建築の空間内部を、優しい自然の光が差し込んでゆきます。

今回は、高知城の天守閣内部に入ってゆきます。
高知城の天守閣は、かなり太い柱が細かなピッチで並んでいます。
7寸以上の太さの柱が、1間半〜2間程度のピッチで並び、かなり重厚な軸組構造です。
先ほどの優美な御殿の建築とはだいぶ異なる雰囲気の空間です。
大砲の砲撃にも耐える重厚な木造建築:柔構造と剛構造

高知城では、古い金物が付けられています。
かなり古いので、1610年頃に高知城天守閣を建築した際の金物と思われます。
この頃は、柱梁に金物が使われていることは少なかったと思われるので、異例な構造と考えます。

近年は、建築基準法の改正によって、木造軸組では金物を使われることケースが増えました。
筆者は、木造軸組建築は柔構造の良さを活かした方が良いと考えています。
近年は、柱梁の接合部は、かなり金物でガッチリした構造となり、柔構造よりも剛構造の要素が強くなっています。

金物を使用せず、梁と梁が接合している部分は、古来からの継手仕口によって、ガッチリと組まれています。
梁双方を切り欠いて、合体させる最もシンプルな接合方法ですが、熟練した大工の技で頑強になっています。

柱の太さやピッチは、構造を支える以上のレベルであり、戦国末期に登場した大砲による砲撃にも耐える設計です。
当時、南蛮と呼ばれたスペインなどから、少しずつ日本に大砲が輸入され、合戦でも徐々に使用されました。
1614〜15年の大坂冬の陣、夏の陣では、大坂城に大砲が打ち込まれたことが、有名です。
ここ高知城では、「大砲の砲撃に耐えうる天守閣」として、壮大な木造建築による構造が生まれました。

