前回は「森の中に「ほのかに佇んでいる」真田神社〜「ありのまま」が美しい空間・「六文銭」の旗がたなびく真田氏館跡・真田の雄叫びと信州の山々〜」の話でした。
そびえ立つような天守閣を持つ高知城:天守閣の石垣を消す樹木たち

四国の高知県高知市の中心部にある高知城を訪問しました。
・姫路城(兵庫県姫路市)
・彦根城(滋賀県彦根市)
・犬山城(愛知県犬山市)
・松江城(島根県松江市)
・松本城(長野県松本市)
・丸亀城(香川県丸亀市)
・丸岡城(福井県坂井市)
・宇和島城(愛媛県宇和島市)
・備中松山城(岡山県高梁市)
・高知城(高知県高知市)
・弘前城(青森県弘前市)
・松山城(愛媛県松山市)
高知城は、現存十二天守の一つであり、大変貴重な日本の木造建築です。
同じく現存十二天守の一つである松本城に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
1602年頃から着工し、1611年頃に大体完成した、と思われる高知城。
410年以上昔の木造建築です。
上の写真のように、街中から見るとそびえ立つような異様を誇っているのが高知城です。
付近の駐車場に車を停めて、高知城に向かう際に、上のような光景を見て、
Yoshitaka Uchino思ったよりも
かなり大きいな・・・
小高い山にある高知城を見て、堂々たる天守閣に圧倒されました。


高知城の周囲は公園となっており、大きな樹木が並んでいます。
その樹木たちが、高知城天守閣の足元にある石垣を適度に消しているので、天守閣が異様に大きく感じられます。
「先進的設備設計」と石樋:緻密な石垣はどう作るのか?


かなり無骨な石垣は、立派であり大変精度良く作られています。
これらの石垣のどこまでが、「当時の古いまま」かは不明ですが、ほとんどは江戸時代の石垣と考えます。
現代のような重機がない時代、この一つ一つの石垣を運んで設置することは、極めて難事業だったでしょう。
そして、様々な形状の石をもとに、石垣をきちんと作る技術は、信じられないほど高いです。
様々な形状の自然の石を使うため、「石垣をつくる設計図書」は作成できないはずです。
そのため、およその形状・サイズを念頭に組んだと思われますが、その重量を考えると感動してしまいます。
仮に、現代の建築・土木技術で、同様の石垣を作るとしたら、当然「可能」であるはずです。
その一方で、ここまで美しく、精緻に石垣が組めるかどうか、は別問題であり、現代でも難しいと考えます。


高台にある天守閣目指して、どんどん歩いてゆきます。


石垣から突き出した「モノ」が目につきました。
これは、先進的な城郭で見られる「石樋」です。


上の写真に説明がある通り、石樋は排水が石垣に当たって汚れないように、突き出して配置されています。
この石樋は、現代の建築設計の発想であれば、「当然の設備」でありますが、



410年前に計画されていた
ことに驚きます。
建築設計では、意匠・構造・設備が三位一体になることが大事です。
そして、建物を人間に例えると、設備は血管などに相当します。
この石樋が16箇所もある高知城は、「先進的設備設計」によって建築された、と考えます。
次回は、天守閣に向かいます。


