延暦寺の長い歴史〜東塔・1200年以上続く聖なる地・「現在を体現」する聖地・織田信長の焼き討ちと「不滅の法灯」〜|建築と旅

前回は「五島の旅〜島国日本と五島列島・九州と五島・近くて遠い五島・五島-長崎の海の体験・船に揺られる体験〜」の話でした。

目次

延暦寺:1200年以上続く聖なる地

延暦寺(新建築紀行)

日本には、いくつか聖なる地がありますが、その一つである延暦寺。

伝教大師・最澄が788年に建立して以来、1200年以上の歴史を持ちます。

天台宗の本拠地であり、法然・栄西・親鸞・道元・日蓮などの各宗派の開祖たちが学んだ比叡山延暦寺。

ここを訪れた際は、たまたま霧が非常に濃い日でした。

延暦寺(新建築紀行)

この霧の濃い光景もまた、「聖なる地」にふさわしいように感じます。

延暦寺へはケーブルカー・バス・自動車などで訪問できますが、今回は自動車で行きました。

延暦寺(新建築紀行)

濃い霧によって、自然の光が乱反射されて、崇高な雰囲気があります。

まずは最も有名で広大なエリアである東塔を訪問します。

東塔:「現在を体現」する聖地

延暦寺:大講堂(新建築紀行)

東塔エリアの大講堂へ行きました。

ここでは、延暦寺のお坊さんのお話を伺う機会に恵まれました。

大講堂で一通りお参りすると、お坊さんが、

皆さん・・・
延暦寺の説明をしますから、座ってください・・・

とお話しするので、大勢の観光客の方と共に、周辺に座ってお坊さんのお話をお聞きしました。

延暦寺は伝教大師・最澄によって立てられましたが、
大勢の方が関わっています・・・

そして、大講堂内の上部に掲げられた数々の絵を示しながら、

あちらの聖徳太子が・・・
そして、桓武天皇が・・・

聖徳太子や桓武天皇も関わっていた事実をお話いただきました。

そして、

延暦寺には伝教大師・最澄が建立した時以来、
ずっと輝き続ける「不滅の法灯」があります・・・

1200年以上ずっと光を放ち続けている「不滅の法灯」があることは聞いていましたが、

ぜひ、根本中堂で
ご覧になってください。

後ほど、本物の「不滅の法灯」を拝見できることに嬉しく感じました。

延暦寺:鐘楼(新建築紀行)

続けて、近くの鐘楼でゴ〜ンと鐘をついて、世界平和を祈願しました。

ここ東塔は、
「現在を体現」する地です・・・

ぜひ、現在に関する
お祈りをして下さい・・・

延暦寺(新建築紀行)

1200年以上昔に建立され、それ以来様々な建物が建築・改修され続けてきた延暦寺。

その石垣もまた、城郭のように立派で緻密な作りをしています。

織田信長の焼き討ちと「不滅の法灯」

戦国大名 織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

ここで「不滅の法灯」に関して、ふと疑問を感じました。

戦国大名・織田信長が天下統一むけて邁進した時に、敵対した浅井・朝倉を保護した延暦寺と対立します。

高い山であり「聖地」である延暦寺に保護された敵軍に対して、信長は手が出せず、

浅井・朝倉を
下山させよ!

と延暦寺に要求しますが、

断る!
ここをどこだと思っているのだ!

信長の要求を延暦寺は突っぱねました。

ならば、延暦寺を
焼き払うまで!

そして、信長は延暦寺を焼き払い、大勢の人々が亡くなり、建物もまた焼き払われました。

この信長の焼き討ちの時に、「不滅の法灯」はどうなったのか、思い切って聞いてみました。

信長の焼き討ちの際は、
「不滅の法灯」はどうなったのですか?

あの時は、「不滅の法灯」は
消えてしまいました・・・

ところが、その約30年前に、山形に立石寺建立の際に、
「不滅の法灯」を分けていたのです・・・

そこで、山形・立石寺から「不滅の法灯」を
再度分けて頂き、「不滅の法灯」は続いたのです。

一度消えてしまった「不滅の法灯」ですが、「分けていた立石寺から再度分けて頂く」ことで「不滅」を保ったのです。

そうだったのですか。
有難うございます。

延暦寺の歴史の奥深い側面をみた気がしました。

延暦寺:阿弥陀堂(新建築紀行)

続けて、東塔エリアの阿弥陀堂を参拝しました。

延暦寺:阿弥陀堂・東塔(新建築紀行)

付近には「東塔エリア」の由来の東塔が建っています。

この頃、深い霧が少し晴れて、だいぶ見通しが良くなりました。

延暦寺(新建築紀行)

遠くに琵琶湖と街が見えます。

1200年以上のの長き歴史を持つ、聖地ならでは建築たち。

そして、その建築・建物もまた、延暦寺の僧侶・人々と共に「長き・深き歴史を見てきた」のでしょう。

次回は、西塔・横川エリアのご紹介です。

次回は上記リンクです。

新建築紀行

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