前回は「塔屋がシンボルの旧開智学校〜「木造特有のしなやかさ」を持つ軸組建築・木造におけるスチールブレース・構造デザインと合理性〜」の話でした。
典雅な木造建築の文武学校:江戸時代の高等教育・藩校の空間

長野県松代市にある、松代藩文武学校を訪問しました。
文武学校は、江戸時代の松代藩の藩校です。
現代のような学制・学校制度が存在しなかった江戸時代は、各藩の藩校などで教育が行われていました。
藩校以外には、私塾や寺子屋が教育機関として重要でした。
つまり、藩校は、江戸時代においては高等教育の場でした。
松代藩は、有名な真田幸村(本名は信繁)の真田氏が代々継承した藩です。
1855年に開設された文武学校は、諸藩の藩校の中では「遅咲き」であり、むしろ遅すぎる開校でした。
すぐに幕末となり、1871年の廃藩置県によって政治機構が大きく変わったため、15年ほどの短命の学校となりました。
そんな歴史を持つ文武学校ですが、当時の木造の藩校建築を体験できることは極めて貴重です。

門をくぐると、中央に広い屋外空間があり、周囲を学校建築が囲うプランです。
現代となっても、周囲には高い建物が少ないため、視界が広がります。
上の写真のように、木造平屋の建物の上部には空や木しか見えないアングルもあります。
典雅な木造建築である文武学校は、典型的な全体配置計画です。
地面から僅かに切り離されて力強く建築を支える太い土台

藩校の建築は、多少手入れをされていると思いますが、ほぼ同時のままです。
写真の通り、昔の木造建築は、現代のように鉄筋コンクリートのよる基礎ではなく、石で地面と話しました。

現代は、概ね地面から100mm〜400mmじょん鉄筋コンクリートによって、地面から切り離す木造建築。
文武学校の木造建築は、薄い石によって「わずかに地面から土台が切り離された」構造です。
そして、土台の上に柱が載り、さらにその上に一階の床が作られています。

土台のつくりのディテールは、簡素ながら質実剛健であり、さらに典雅な雰囲気をもっています。
現代建築の考え方から見ると、「危なっかしい」作りですが、十分に耐久性がありそうです。
昔の木造建築の知恵が詰まっている、土台の作り方と感じました。
次回は、他の木造校舎の建築を見てみましょう。
